鞆の浦

鞆の浦は瀬戸内海のちょうどまん中、燧灘(ひうちなだ)を望む、古くから『しおまちの港』として知られとる名所です。晴れた日は写真のように四国山脈の山々や四国中央市、新居浜市の工場の煙突が眺められます。

『潮まちの港』

平安の時代より瀬戸内海のまん中にある鞆の浦は、下関から大阪へと行き来する船路の要となる港でした。昔の帆かけ舟は自然の風を帆に受け、満干で方向の変わる潮の流れに乗って操船しました。船々は行きたい方角へ潮目が変わるまで港で潮を待ちました。『潮まち』の商人同士がその合間に様々な商売をはじめたことは想像に難くありません。そうして港町として鞆の浦は二千年に渡り繁栄を続けてきたと伝えられます。

広島県 鞆の浦 『弁天島』

瀬戸内海

瀬戸内の海は『深碧』

広島県 鞆の浦

皆様こんにちは。桑田です。子どものころから親しんだ瀬戸内の海は、力強く深々とした緑色の『深碧(しんぺき)』という表現がぴったりじゃと僕は思います。
皆さんはどんな色の海がお好きじゃろうか?
桑田食品では沖縄産の『もずく』も取り扱っており時折訪れていますが、沖縄の海は紺碧(こんぺき)とか天色(あまいろ)といった呼び方が似合いそうじゃね。空のように透き通る美しい海です。

沖縄県 西平安名岬

若いころには南島の天色の海に憧れたものでした。『透明な海で泳いでみたいのう』『どうして鞆の海は緑色なんかのう?』って(笑)。

ここから先は、僕(桑田)の私見で学識根拠とかないですから、まぁ気楽に付き合ってくれてならいいですけぇ(笑)。

瀬戸内海は中国山地と四国山脈、そして九州と紀伊半島に囲まれとります。日本海岸や太平洋岸ほどの外洋の潮流はありません。そのためか高度成長期の1950年代からは瀬戸内各地も海岸周辺の工業化で環境汚染が進みました。しかしその後、いくつもの公害問題を経て日本の産業界は環境を大切にすることを選択し、今では当時の深刻な状況からずいぶん改善しました。

福山市 箕島町からの瀬戸内海

さて、瀬戸内海には多くの河川を経て中国山地や四国山脈の山々からの栄養分やミネラルが届けられると言われとります。

雨水は山々に降り注いで緑を育み、沢を経て集い、あるいは一旦地下水となって再び湧き出します。

広島県三次市 江の川

里山で田畑を潤し、街々を経て海に注ぎます。

広島県三次市 市街地

街の皆さんが河をきれいにしていて下さるので、山々の恵みが瀬戸内海に届くのです。

瀬戸内海 虫明の迫門(せと)の曙  (日本の朝日百選)

瀬戸内海は牡蠣の名産地でもあります。『牡蠣を育てるなら山林を育てよ』と言われるのは、山々からの栄養分やミネラルが海に注ぎ、藻類やプランクトンを育くむことで牡蠣が成長することができるのです。そして、同じようにアミエビなどの小型甲殻類の餌となり、それらがまた様々な稚魚の餌となり、さらに大きな魚の命を育んでいくんじゃと思います。

 

これって、ショクモツレンサでしょ?
うん、それそれ。山から始まるとは思ってなかったな。
ボクはアミエビ大好き!

阿伏兎山森林公園付近の風景

少々長話になりましたが、島々が連なる瀬戸内の海は中国山地の山々がそのまま海になっとるように見えませんか?
瀬戸内の海は足元を見つめれば『深碧』。
海面に青空を映せば『紺碧』に。
透き通る透明感がないのはきっと、沢山の栄養分で様々な生き物や私たちにも恵みを与えてくれとる。『深碧の海』は『命の海』じゃろうと思う。僕の大好きな海で育った『サヨリ』を皆さんに大切に届けたいと思います。

広島県 鞆の浦

僕が子どものころから大好きな瀬戸内と鞆。

昔は鞆で水揚げした魚を行商のおばちゃんたちが路地で売っとりました。僕のばあちゃんも自分で干した『サヨリの干物』を売っとりました。うまかった。

あの頃の味わい、風情を大切に少しずつでも、いつまでもお届けできたら幸せじゃと思います。